土地の国有化であり、国が土地に対し統一的見解を打ち出した最初であった。従来行なわれていた奴隷的労働力を基礎とする、氏族的大土地所有は廃止され、農民の大部分は公民となり、氏族の所有地は口分田として政府の手で公民に班給された。また公民には一定の園地が永年支給され、売買も許された。しかし、これはたちまち行き詰まったため、政府は「永代私有許可令」を発して開墾地の私有を許すとともに、墾田開発の奨励を行なった。
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その結果、資力のある者は競って山野を占有し、多数の浮浪人や奴婢を使って盛んに開墾し、零細な墾田をあらゆる方法により収得し、広大な墾田を兼併するに至った。このような趨勢は、これまでの制度によって潜在していた消極的私有性を、公然の私有性に固定させる結果となり、ここに公地公民の制度は漸次崩壊するに至った。次に起こったのは荘園制度である。これは律令的土地関係の矛盾に起因した大土地私有の再現であり、この拡大の過程は、同時にこうした土地関係が質的に発展し、著しく明確化された過程でもあった。この荘園制というのは、地方豪族や貴族、寺院などに統治を管理させる制度で、彼らに自家経言的な性格を多分に持たせることになった。荘園制の発達は、一方で班田農民及び私有地耕民の農奴化をおしすすめ、管理を委任された土豪はますます強大になり、封建制を成立せしめる温床となった。